001 : 東京24区Ⅰ-邂逅-

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1st Order. 『Ten Little Indian Boys.』

新書版/212ページ/価格:1,000円/発行日:2017年5月/読み切り

◆あらすじ◆
平成が終わり、そこから五十数年が過ぎた東京。
凶悪事件から難事件まで、検挙率100%を誇る精鋭揃いの刑事たちが集められた特別捜査班、通称「東京24区」。
彼らの元に連続殺人事件が舞い込んだ。
「月曜の切り裂きジャック」と呼ばれる凶悪犯に、どう立ち向かうのか。
初のオリジナルBL小説です。


 昼頃から降り続いていた雨は、夜更け近くなっても一向に止む様子がなかった。
 降り始めの頃は、細かい雨粒が音も立てず静かに埃の立つ街を包んだ。微かに空も明るく、これはたいして続かないなと街を歩く人々は、傘越しに空を見上げ安堵したものだった。
 それが夕刻を過ぎ、街にネオンが灯る頃になっても雨脚は遠のく気配がなかった。普段であればこの辺りの繁華街では、多くの客が行き交い、流れる客をひとりでも捕まえようと躍起になる客引きなどの姿もあると言うのに、この雨では誰もが足早に自宅へと帰路を急いでいるようだった。
 これが週末ででもあればまた勝手は違っただろう。
 けれど、今日は週末までまだ遠い、平日の半ば。明日も仕事だと、少し引っ掛けて帰ろうかというサラリーマンも今日は流石に諦めたようだ。
 そんなネオンだけが雨の中に滲み、物悲しさも感じられる街の中でひとりの男の姿があった。咥え煙草の煙が傘の中で漂い、ふうっと吐き出すも雨に溶けた。彼はゆっくり歩を進め、とある雑居ビルの前で足を止めた。軽く見上げると、彼は肩を強張らせ強く目を閉じた。傘から滴る雨粒が目に入ったらしい。
 シャツの袖で目を拭い、もう一度顔を上げた。目当ての物が確認出来たようで、彼はビルの中へ足を入れると煙草を咥えたまま傘を閉じた。軽く振って水気を切り、ストラップは留めないまま左手に持った。傘の先から雫が滴り落ち、足元を濡らした。
 入口を入ってすぐ目の前にエレベーターがある。そして、左側に階段。
 彼はどちらを選ぶか、一瞬迷ったようだった。けれど、それは本当に一瞬のこと。
 ビルの入口に置かれている灰皿で吸いかけの煙草を揉み消すと、彼の足は階段を選んだ。雨に濡れた革靴の裏がリノリウムの床で、甲高い音を立てた。それを気にする様子もなく、同じリズムで黙々と昇った。
 目的の場所は三階だと記憶していた。
 なに、たいしたことはない、と少し腹の出かかった中年の身体を持て余し気味に一歩一歩昇った。だが、二階までは楽々クリアと考えていた彼も二階を過ぎ、三階へ向かう踊り場の辺りで少し息が切れた。後少しだと自身に言い聞かせつつも、エレベーターを選べばよかったかとここへきて後悔の色を見せ、自嘲気味に笑った。しんと静まり返ったビルの中で、男の繰り返す呼吸音だけがやけに大きく響いていた。
 当初のリズムはとうに失せ、のろのろと昇る足を励ましつつ、やっと目的の場所の前へ辿り着いた。
 そこは木製の大きな扉が立ち塞がっていた。表札も看板もなにもない、その重厚な扉は固く閉ざされ誰の侵入も拒んでいるように見えた。薄暗いビルの中でその姿を隠そうと、出来るだけの存在感を消そうとしているようにも見えた。
 男はここを友人に紹介され訪れた。場所は間違っていないか、取っ手に手を伸ばす前に脳内で反芻した。大丈夫だ、間違っていない。そう思うも、伸ばす手に迷いがあった。
 ここまで来て帰るのは癪だった。雨の中をわざわざ出向いてきたのだ。
 …しかし。
 そう迷いを見せる中、重厚な扉の向こうでかちりとなにか硬い音が聞こえた。なんの音だろうかと記憶の中を探る。そう、鍵を解除する音が一番近かったかもしれない。
 迷いがなくなったのかその音を耳に、彼は取っ手に手をかけた。ひやりとした感触に怯みかけるも、腕に力を込め力強く引いた。
 見た目とは裏腹に、扉はあっさりと開いた。だが、視界の先は薄暗いビルの廊下以上に暗い空間が広がっていた。間接照明を限界まで落とし、至近距離でなければ誰かの顔もわからないのではないかと思わせるほど。
「いらっしゃいませ」
 薄暗い空間の奥から声が聞こえた。静かで抑揚のないその声は穏やかで男の耳に心地よく、引き寄せられるように室内へと足を踏み込ませた。足元は入口の扉同様に肉厚の絨毯の感覚が革靴を通し足に伝わった。踏むだけでわかる、安物ではないその感触に左手に持った傘の所在に困った。この濡れたままの安物を持ち込むのは失礼ではないだろうかと、薄暗い空間の中で彼はあたふたと周りを見回した。
 傘立ての存在を必死に探すために。
「傘はどうぞそのままお持ちくださって結構です」
「いや、しかし」
「どうぞ。お寒かったでしょう。そのコートもそのまま中へお入りください」
 聞こえる声の主はこの薄暗い中でこちらの姿が見えるのだろうか、と男は驚きに目を丸くした。
 その表情が見えたのだろうか、声は鼻から息を漏らすようにくすりと笑った。
「いらっしゃいませ」
 声は男へ向かって第一声と同じ言葉を繰り返した。
「あ、ああ。いいかな」
「もちろんです。どうぞ、お好きな席へ」
 傘を持ちつつ、もどかしい仕草でコートを脱いだ。まとめて左手でそれらを持ち顔を上げると、視界の先に薄ぼんやりと店内の光景が見えた。
 目が慣れてきたらしい。
 六畳にも満たない縦長の狭い室内。細長いカウンターが室内の真ん中に置かれ、それを挟んで左側にカウンターチェアが五脚並んでおり、右側に人の姿があった。
 その人物は、この暗さとこの距離では表情までは確かめることは出来なかった。けれど、声とその佇まいからカウンターの中の人物は男だと推測した。
「どうぞ」
 うやうやしい手つきでカウンターの中の人物は、片手をスツールへ伸ばした。きょろきょろと辺りを見回しつつ、彼は声の主と正面に向き合うように、五脚の真ん中へ腰を下ろした。左手に持ったコートはその隣のスツールへ、傘はカウンターの端へと引っ掛ける。
 程良い暖房が効いている、暑くもなく寒くもない快適な空間に、男は首を傾げた。エアコンの送風口が天井にも壁にも見当たらない。この室温はどうやって保っているのだろうか。目の前の人物へ聞いてしまえば解決は早いのだろうが、なぜかそう言った質問は憚られる雰囲気がそこにはあった。
「随分暗くしているんだね、休業しているのかと思ったよ。もしくは、店を間違えたかと」
「それは大変失礼いたしました」
 相変わらず抑揚のない声が、謝罪をした。おもむろに彼の片手が伸ばされる。照明を増やしてくれるらしい。大きなグラスの中のキャンドルに火を点け、カウンターに置いた。それだけでかなり明るく感じられた。それでもカウンターの中の人物の表情は読み取れなかったが。
「友人に勧められてきたんだ」
「そうですか」
「知っているかな、中岡って奴なんだが」
 カウンターの中の人物は答えなかった。頷いたようにも見え、それでいて知らないと首を振ったようにも感じられる仕草を見せただけ。
「ご注文は」
 答える代りに、男への注文を尋ねた。
「あ、ああ、そうか、注文か。悪いがメニューはあるかな」
 男の問いに、今度ははっきりと彼は首を振った。メニューはございません、静かながらもしっかりとした口調で彼は返した。
「メニューはない? そうだった、中岡も言っていたっけ。リクエストをしたら、なにか美味い物を飲ませてくれると」
「ご希望がございましたら、極力お応えします」
「そうだな…」
 カウンターの中から差し出されたホットタオルで両手を拭きながら、男は口角を上げた。
「リクエストをせずに、君の自由に作ってくれと言ったらどうなのかな。私の口に合うように」
「ご随意に」
「じゃあ、それを頼もうか」
「畏まりました」
 ぼんやりと灯る明かりの向こうで、彼はそっと頭を下げた。
「君がこの店の店主なのかね」
 手持無沙汰に男は尋ねた。
 はい、と短い答えしか返ってこず、彼はキャッチボールに成らなさそうな会話の切られ方に戸惑い、一度下したホットタオルでわざとらしくまた手を拭った。
 客の思惑などどうでもいいと言わんばかりに、カウンターの中では黙々と準備を進めている。
「珍しいね。この店は、雨の降る日しか営業していないそうじゃないか」
「ええ」
「最近、雨の日がなかっただろう。中岡に聞いたのは三カ月も前でね、一度だけでいいから来てみたいと思ったがずっとその機会がなくて。今日昼頃から雨が降り始めたから、このタイミングを逃してなるものかと思ったんだ」
「そうですか」
「午後、職場の窓から外ばかり見ていてね。止まないでくれと仕事を放ってそればかり祈っていたよ。まるで遠足前の子どものようだ」
 男ははははと楽しげに笑った。
「いや、本当に楽しみにしていたんだ。どこでも飲ませてもらったことのない、変わったカクテルしか置いていない、だがそれがひたすらに美味い。中岡はそう言っていたよ」
「恐れ入ります」
「例えば、私がビールをと注文したら君はどうするのかね」
「ビールをベースにしたカクテルでよろしければ、お作りしますが」
「いやいや、そうじゃないよ。ビールを注文したら? 単体で」
「隣のビルに静かなバーがございますので、そちらへご案内いたします」
「へえ」
 男は目を丸くした。客をあっさりと他店に勧めるのか、と驚いたのだ。そこまでコンセプトに拘る店の経験はない男は、淡々と答えを返すカウンターの中の人物に、非常に興味を持った。
「相当の拘りがあるんだね」
 男は本心から感心し言ったのだが、店主はそっと微笑むだけだった。
 バーテンダーである店主は、手際良くシェイカーのボディに氷と水を入れた。軽くステアし、水を切る。
 おもむろに彼は、客へ背を向けた。男は目の前にあったはずのこの光景に気付いていなかった。バーテンダーの背後には天井まで届く大きな棚が設えてあったのだ。
 棚の中には、所狭しとあらゆる大きさの瓶やグラスが並べられている。彼はその中の幾つかの瓶を手に取った。
 こちらへ背を向けた店主の背中を、男は見詰めた。肩までありそうな髪を後ろでひとつにまとめてある。髪の色は黒なのか、茶なのか、白髪混じりなのか、この照明の中では判断がつかなかった。
 ただ、彼はかなり背が高いようだ。細身でありながら随分鍛えられていることは、カマーベストに包まれた上半身を見ただけでわかる。白いシャツにダークグレーかブラックのユニフォームは、スタイルのいい彼に相当似合っていた。しかし、年齢までは読み取れなかった。
 声を聞いた限りでは、三十代の若さを感じられることもあった。それでいて、時折感じられる雰囲気は、四十代とも五十代とも取ることが出来た。顔を見ればもっと年代を絞ることが出来るのだろうか。
 洗練された動きに、静かな声、多少表情には乏しいようだが、それは嫌味と男には感じられなかった。以前訪れた高級と謳われるホテルのラウンジで、彼の雰囲気に似たギャルソンの接客を受けたことがある。
 この店主は、そんな店に存在しても決して浮くことはないだろうな、と男はぼんやり考えた。
「この店は長いのかね」
 しんと静まり返る店内で、カクテルを準備する音だけが黙々と響き、いたたまれずに男は会話を探った。
 だが、店主は答えようとしない。
 客の苦痛を感じ取ったか、カウンターの端に置かれたレコードプレーヤーを回し、針を置いた。ぶつりと針の軽く飛ぶ音の後に、曲が流れる。男は聞いたことのない曲だった。けれど、耳に心地よく指先がリズムを取った。
「いい曲だね、ジャズ…、いやこれはファンクかな」
「よくご存知ですね。お詳しいのですか」
「うちにはオーディオルームがあってね。しかし、この曲は聴いたことがないな。でもいい音だ」
「恐れ入ります」
 カウンターの中でバーテンダーはまた微笑んだ。どうやら男の言葉が、彼の琴線に触れたようだ。
 ひととおりの材料をシェイカーに入れると、バーテンダーは慣れた手つきでそれをシェイクした。小気味いいリズムが、店内に流れるBGMとよく似合っている。
「お待たせいたしました」
 よく冷やされたカクテルグラスになみなみと注がれたそれは、そっとカウンターへ下ろされた。
 見る角度によって、カクテルの色が変わって見えるのは、照明のせいだろうか。しげしげと眺めた後、男はグラスを摘むと目の高さへ掲げた。
「このカクテルの名前は?」
「『マザー・グース』と言う種類の中で、『テン・リトル・インディアン・ボーイズ』と言います」
「『テン・リトル』…十人のインディアンか。マザー・グースと言うと、イギリスの童謡の?」
「はい」
「聞いたことのないカクテルだね。しかも、見る角度によって色が変わるとは、とても珍しい」
「当店オリジナルでございますので」
「ああ、そうだった。ところで、このカクテルの名づけの由来を聞いても構わないかな」
「喜んで」
 大きなグラスの中で、キャンドルの炎が小さく揺れた。映し出した影がそれに倣い、揺れた。
 目の高さまで掲げられたカクテルグラスに手を伸ばすと、オリーブの実を沈め、店主はゆっくりと口を開いた。


「…ようこそ、『東京二十四区』へ」